第67回講師交流会

2015年9月29日(火曜日)



講師 東海大学 名誉教授 太田尚樹先生

略 歴
1941年 東京生まれ。
1964年 東京海洋大学卒。
1965年 同大学専攻科修了。
1967年 カリフォルニア州立サンフランシスコ大学在学。

     単位満了による卒業。(~70)
1970年 カリフォルニア大学バークレー校大学院在学。(~71)
1972年 同大学とスペイン・マドリッド大学との交換制度により

     マドリッド大学に転学。社会学diploma 修得。(~76)
1977年 東海大学奉職。
2006年 同大学名誉教授就任。現在、作家。


 

(専門分野)

ヨーロッパ文明史、日本近代史

(主な著書)
『満州裏史』講談社、2005年、講談社文庫 2011
『赤い諜報員-ゾルゲ、尾崎秀実、そしてスメドレー』講談社、2007
『明治のサムライ-「武士道」の新渡戸稲造軍部とたたかう』文春新書、 2008
『伝説の日中文化サロン 上海・内山書店』平凡社新書、2008
『愛新覚羅 悲劇の王女 -川島芳子の謎』講談社、2009
『東条英機 阿片の闇、満州の夢』角川学芸出版 2009 
『天皇と特攻隊』講談社、2009
『日本人と中国人はなぜ水と油なのか』KKベスト新書、2011
『駐日米国大使グルーの昭和史』(PHP研究所)2013
『支倉常長遣欧使節 もうひとつの遺産』山川出版 2013
『昭和史の現場』青春出版 2015
『東京裁判の大罪』2015 KKベスト新書
『満州と岸信介』2015 KADOKAWA

ほか多数


講演テーマ 「戦後70年 漢民族の中国史実                           から我国の政治・経済の今後を探る」

1.    A級戦犯という言葉をなくしてほしい。
A級戦犯という言葉を、死語にしてほしいというのが願いである。満州というと、ポジティブな見方と、ネガティブな見方がある。これは、日本が満州を侵略したのか否かという考え方で、私は、中国に対する侵略ではないと考える。
満州とは何か?元々蒙古民族、満州民族の作った国だった。
満州を作った人達の日本人の主役は、岸信介。陰の存在で甘粕正彦。
昼の満州は、陸軍が牛耳っていたと言われるが、実際に満州を牛耳っていたのは、官僚であり、その官僚の中では、岸信介である。
安倍総理の目指す政治スタイルに、岸信介が以前より評価されている。しかし最近安倍総理は、「何だあれは」と批判の声が高い。おじいさんの岸信介と比較すると、安倍総理は、かわいそうで、到底岸信介には及ばない。
岸信介は、凄いことをやった。コーリャン畑を、産業立国に変えた。戦後は、3年3ヶ月虜囚生活を巣鴨プリズンでおくったが、無罪で出てきた。A級戦犯という人がいるが、そんなことはない。

2.    岸さんが目指したのは、産業を中心とした国づくり。
大正の末に東大を出てから、商工省の官僚として、1年間欧米を視察した。アメリカのフォード、ピッツバーグの鉄工所、オクラハマの油田を見て、太刀打ちできない。やるなら、ドイツ方式だと判断した。国土は、広くない。資源もない。あったのは、人の英知で。ひたむきに軍民一体となって統制をひいた国づくり。社会主義国家と言える全てを国家管理に置き、自由主義経済ではない。岸さんは、日本がやるのは、これだと、商工省にいた時から着手した。岸は、満州に渡る前から、準備をしていた。
昭和7年3月1日に満州国が成立すると、陸軍は、優秀な人材を、全て満州に集めた。大蔵省は、高橋是清が送り出された。商工省は、岸信介だった。岸は、「満州の産業を、軍人から取り戻すために、ここに来た。」と関東軍指令部に乗り込んでいった。関東軍は、以後産業については、一切関与しなかった。

3.岸信介の人物像
岸は、「濁水は、濾過して清水にして使え。」と言っていたが、これを濾過しなかったのが、田中角栄だと思う。
岸の統制経済を柱とした国家理論の実験場となった満州国。ドイツで、若い時に学んだ軍民一体となった国家の仕組み、日本国営企業みたいなものを満州に誘致した。
岸の凄いところは、戦後3年3ヶ月間巣鴨プリズンに入っていたし、公職追放が解かれていなかったにもかかわらず、多くの財界人が、岸の周りに集まってきたこと。出所祝いではなく、先行投資だった。財界人は、金を考え、岸が必ず日本の立て直しのトップランナーになると期待していた。岸さんの人間力は凄かった。
安保改定の時に、岸は、「ゲバ棒を持って、国会周辺でデモをしている人は、大衆ではなく、極左勢力で、普通の大衆ではない。実際は、共産党に先導されていた。」と言った。
2度にわたって国づくりをした。1回は、満州。2回目は、日本の戦後経済。吉田のじいさんなんかには、経済は分かっちゃいない。あれは、外交の専門家であって、経済は、分かっていない。日本を立て直したのは、繊維・造船が復興し、その舵取りを岸さんがした。
日本の戦後の国づくりのモデルは、満州だった。
我が東海大学の初代総長も、怪物と言われてきた人だが、岸さんも怪物だった。
苦しい時でもユーモアたっぷりに笑い飛ばせる人間性に富んだ魅力ある人だった。「マグロは巣鴨に限る」と言った。面白い人。
長州出身で、反骨精神もあった。常に、山口県のことを考えるのでなく、日本を考えていた。
東條英機に引っ張られて、満州から日本へ。商工大臣で入閣するが、サイパン陥落後戦争継続に反対し、閣内不一致で天皇は、東條を辞めさせた。
岸は、満州にいる時から日本を見ていた。日本は負けると知っていた。軍人は、日露戦争のこともあり、ひょっとしたらやれるんじゃないかと思っていた。良いところで譲歩すればと思って、真珠湾をやっちゃった。あの真珠湾は、正義の愚行だと思っている。山本五十六さんは大好きだが、真珠湾はいただけなかった。
岸さんは、戦後を見据えていた。戦後は、俺の時代が来ると読んで、東條に喧嘩を売った。
満州で培った人脈、大平正芳、伊東正義、みな満州で活躍した人だった。産業立国の実験の場だった。
満州での見果てぬ夢が、日本に結びついた。(第67回講演より、講演要旨及びその一部を掲載)


講師 横浜望星倶楽部 理事 中川忠雄氏

講演テーマ 「相続税改正」

基礎控除額が減り、課税対象者の増加が予想される相続税改正について。


懇親会の様子